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プリマドンナは放課後の調べ 【3】

誘木(いざなぎ) (めい)


 司会者の言葉に、直美が手を上げた。
千佳は再び黒板へ目を移す。

 会計立候補
   菊池勝
   浅野美和

「菊池くんに質問」
「どうぞ」
 指された直美が立ち上がると、菊池は真直ぐに直美を見る。刈り上げられた短髪が、誠実さを演出している。
「菊池くんは、今まで会計の仕事をしたことがありますか?」
「ありません」
「じゃあ、どうして会計の仕事に立候補したのですか?」
「経験がなければ、立候補しちゃダメなんですか?」
「別に、そういうワケじゃあないけど…」
 口ごもる直美に、菊池が追い討ちをかける。
「じゃあ、経験があるかないかは関係ないでしょう?」
「で、でも… じゃあなんで部長や副部長に立候補しなかったんですか?」
「した方が良かったですか?」
 その表情は真剣そのもの。だが千佳は、その顔の下で、菊池がニヤニヤ笑っているような気がした。
 彼の返答は間違ってはいない。……と言うよりも、質問の内容を、巧妙にかわしている。
「じゃあ、浅野さんはどうして会計に立候補したんですか?」
 同じ立候補者の菊池に突然質問され、美和はただ驚くばかり。目をキョロキョロと動かして誰かに助けを求め、最後にはうつむいてしまう。
「だって美和は…… 浅野さんは一年の時から会計やってたじゃん。仕事の内容もわかってる」
「一年の時に会計やってるんなら、二年になったら別の仕事にチャレンジしてみてもいいじゃん」
「でも、慣れてる人がやった方がいいんじゃない?」
「じゃあ、あんたは部長の経験あんのかよ?」
「ないけど…」
「直美は中学の時に、級長やってた」
「お金を扱うんだから、慣れた人の方がいいんじゃ…」
「あのなぁ!」
 菊池の不機嫌な声が響き渡る。
「オレはなぁ、別に部長だって副部長だって会計だって、何だってよかったんだよっ!」
 そこで一呼吸置き、高揚する胸の内を抑えるかのように、口調を和らげる。
「ただ、オレみたいな警察の世話になったようなヤツが部長なんてやったら、部のイメージが下がるだろ? だから無難なところで会計を選んだんだよ。なんだよ? オレが会計やるのがそんなにヤだってのかよ? だったら理由言ってみろよっ!」
 口を開く者はいない。
「なんだよ。結局オレは信用できねぇってんだろ? そうだよな。いっぺん警察沙汰になったヤツなんて、信用できねぇよな」
「別にそういうワケじゃ…」
「だったらなんだよっ!」
 菊池の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。千佳は思わず顔を背けた。
「まぁ、オレが悪いんだけどよ」
 トーンを落とした鼻声。誰も何も言えない。みんな、菊池を疑う自分を責めている。彼らの心の声が、千佳には聞こえる。

 ―――っ 違うよっ!

 だが、千佳には何もできない。
 菊池の言葉が偽りだと、どう説明すればよい?
 このままでは、合唱部の部費は菊池のものになる。だがしかし……

 ………

 菊池が会計になり、部費をネコババした事実を突き付ければ、その時には……

「言われたって、返す金がなけりゃあ、返せねぇだろ」

 ………取られたお金は、きっと戻ってはこない。
 お人好しで優しいみんなで集めた部費が……
 だが、証拠は何もない。
「ほ、他に質問はありますか?」
 現状を打破しようと、司会者は不自然に大声をあげる。反応する者はいない。

 みんなは騙されている。だけど……

「じゃあ、採決にうつります。会計は浅野さんが良いと思う人」
 誰も手を上げない。
 菊池が言うように、部費がどうなっても、みんななら気付かないかもしれない。
 このまま…… 知らないフリをしてしまっても、構わないのかもしれない。

 だけど…… 知らないフリをしてしまっても、良いのだろうか?

 ……… 私は、歌が好きで合唱部に入ったワケではない……

 両手が震えて、力が入らない。

 私は……

「菊池君が良いと思う人」
 パラパラパラ…

 どうしよう……

 千佳はどちらにも手を上げることができない。だが、司会者はそんな千佳には気づかない。千佳一人が手をあげようがあげまいが、結果には影響がない。

 そうだ…… 私一人なんて……

「では、会計は…」

 私一人なんて ――――っ

「菊地くんに決まりま………」
「待ってっ!」

 教室中の視線が千佳へ注がれる。それを受けて、ようやく我に返った。


 ど どうしよう


 こんなことをするつもりなどなかった。まったく無意識だった。
 だが、理由など関係ない。大声を上げて席を立ち上がってしまった事実に、変わりはない。
 全員が、理解不能といった顔。唯一司会者だけが、かろうじて自分の仕事を忘れていない。
「なんですか?」
「あ…… あのっ ……… 菊池くんを会計にするのには反対です」
 言いながら、頭が真っ白になっていく。
「菊池くんは、自分を変えたいから会計のような責任のある仕事をやると言ってますが、それは嘘です」
 私、何言ってるんだろう?
「菊池くんは、反省なんかしてません。私、聞いたんです。菊池くんが音楽準備室で友達と話してるの」
 誰も信じてくれないよ。ダメだよ、きっと。
「菊池くんは部費を使い込むために会計に立候補したんです」
 どよめきが起こる。直美が駆け寄ってきて、千佳の肩を抱く。
「それ本当?」
 直美の問いかけにうなずく。
「偽札を作ったのだって、今回だけじゃない。それにきっと、またやろうとしてます。そうでしょう?」
 貧血を起こした時のような薄ぼんやりとした視界の中で、ようやく菊池へ視線を向けた。
 菊池は黙って見返している。その瞳に、まだうっすらと涙が残る。
「オレにはなんのことだかわからない」
 鼓動が激しくなる。
「音楽準備室? なにそれ? オレは知らない」
「昨日の夕方、みんなが部活終わって帰った後、音楽準備室に居たでしょう?」
「居ないよ」


 菊池が笑った。


 間違いなく笑った。
 他の誰にも見えないように。だが菊池は、確かに笑った。
 目を赤らませ、悲しそうな鼻声の裏で、菊池は千佳に笑って言った。

 証拠は?

 千佳にしかわからない。瞳の奥の本当の菊池が、言葉ではなく視線で尋ねる。

 証拠でもあんのかよ?

 誰も気づかない。
「友達と話してた? 誰とだよ?」
 ―――――っ!
 金の持ち逃げ役とか言っていた相手の男子生徒。それが誰なのか、千佳は知らない。自信あり気に聞いてくる菊池の態度。千佳のまったく知らない他校の生徒だったのかもしれない。
 菊池が悲しげに笑った。
「一回やると、いつもやってるように思われちゃうんだよな」
 無造作に頭を掻く仕草が、菊池の失望感を表現する。
「疑われて、ヘンな言いがかりつけられて、まっ 仕方ないんだけどさ」
 いかにも悲しげな態度で立ち上がると、おもむろに教室を見渡した。
「オレが悪いんだし、疑われても嫌がられても仕方ないよな。みんなに信用してもらおうと、頑張ろうとしたオレがバカだったんだよな。一度バカやっちゃったら、もう人間って終わりなんだよな」
「そんなことないよ!」
 お人好しが一人、そう叫んで立ち上がる。
「そうだよ。終わりだなんて言うなよ」
 もう一人がそれに続く。
「菊池くんのことを疑うなんて、そんなことないよ」
「採決で決まったんだし、会計やってよ」
「ちょっと千佳、証拠もないのに菊池くんにそんな言いがかり、ヒドイんじゃない?」

 わかっていたはずだ。

 目の前が真っ暗になる。

 こうなると、わかっていたはずだ。

 ガクガクと膝が震える。
 わかっていたはずなのに、どうしてこんなことをしてしまったのだろう? どうしてこんなことに、なってしまったのか?
 菊池は、その演技力で今まで親も警察も同級生も、みんなを騙してきたのだ。千佳に敵うはずがない。
 千佳がここでどんなに声を張り上げたとしても、菊池の前では無力なのだ。
 教室中の視線が千佳に刺さる。
 人のやる気を無意味に踏みにじり、たった一回の失態でその人のすべてを判断してしまう。千佳とはそういう人間なのだ。

 そういう人間に、なってしまったのだ。

「待ってよっ! 千佳は嘘なんてつく子じゃない」
 そう言う直美の声にも、覇気がない。
「勘違いってこともある」
 そう言って、千佳の顔を覗き込む。
「音楽準備室に居たのって、本当に菊池くんだったの?」
 間違いないのに、それを証明する術を持ってはいない。
 何も答えない千佳の表情に、直美は視線を落とした。
「千佳」
 優しく手を添えてくる直美の声すら、責めているように聞こえる。
 もう、部にはいられない。
 逃げ出したい気持ちで、直美の手を振り払った。

 ガラッ ――――――っ!

 あまりに大きな音だったので、一瞬にして教室は静まり返る。
 刺すように注がれる視線。その先で真壁が、毅然とそれらを受け止めている。










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背景イラストはPearl Box 様 よりお借りしています。


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