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Q欄
誘木 溟

 地方新聞社の役員を務める男は、明かりの下で自社の新聞をペラリとめくり、Q欄を眺めた。そうして朝のコーヒーを一口啜った。
 地上9階建の自社ビル。会長室より二階下に配置された彼の部屋。ネットや携帯の氾濫によって衰退に追い込まれつつあるはずの新聞社の役員の部屋にしては、あまりに広い。そして優雅で洗礼されている。
 なぜ彼はこのような待遇を受けられるのか。



 新聞購読者が減り続け、同じように広告を掲載する企業も減り続けてもはや廃刊寸前となっていた地方紙に、彼は初めてQ欄を設けた。
 いや、最初は違った。
「ネット欄?」
 上司は眉根を寄せた。
「多くの人間が今すぐ知りたいと思うwebのアドレスを、一覧にして紙面に載せるんです。例えば、企業や大手サイトのインターネットアドレスとか、地元のスーパーやレストランの携帯サイトのアドレスでもいい」
 かつてテレビが家庭に普及して新聞離れが加速した時、番組欄を作る事で危機を乗り切った。インターネットの情報サイトに顧客を奪われるのなら、そのインターネットを逆に利用しようと考えたのだ。
 一紙面を細かく分割し、企業名もしくはサイト名とインターネットアドレス、簡単な説明文を載せる。ここを見れば情報を発信しているインターネットサイトや、企業のホームページアドレスを瞬時に見つける事ができる。検索サイトで探す手間が省けるというものだった。
 これは、新聞を購読している人の多くが中年から高齢者である事から、インターネットにそれほど馴染めないでいる人々や、仕事で携帯を使用してはいるが、若手や同僚に比べてなかなか使いこなせないでいる不器用なサラリーマンをターゲットにしたものだった。
「馬鹿馬鹿しい」
 上司は一蹴した。
「知りたいと思うアドレスがまとまって掲載されていれば、人々はアドレスが探しやすくなります」
「新聞は電話帳じゃないんだぞ」
「アドレスを探す為にわざわざ新聞を開くヤツなんているか?」
「いるかもしれない」
「まぁ、良く言えば奇抜な発想ってヤツだな」
 アドレスなんて載せたって、誰が見る?
 同僚は笑った。だが、彼の粘り強い交渉の結果、紙面の片隅に載せてみる事となった。
 検索サイトや地元企業のHPアドレス、ポイントプログラムを実施している主婦向けサイトなどが、新聞の片隅に載せられた。
 最初はあまり関心も持たれなかった。検索サイトなどは、一年ももたないだろうといった冷ややかな見解を示した。
 だが、内容の一部を新聞に依存している情報サイトなどにとっては、入手源である新聞がバッタバッタと廃刊してしまうのは、正直あまり喜ばしい事とも言えなかった。
「これからはニュースはネットで得る時代だ。紙の新聞はそのうち消える」
 表向きにはそう豪語していても、心内では新聞の消滅にある程度の危機感を持っていた。
 ゆえに中堅検索サイトなどは、ネット欄にアドレスを記載する事を了承した。
 まぁ、ある程度の購読者を引き留める事はできるかもしれない。どっちみちニュースの入手方法はネットの方が断然楽だ。新聞が脅威になるとは思えないし、だが消えてもらっては困る。
 そんなネット業界の思惑にとって、ネット欄は手頃な協力方法だった。
 事実、インターネットアドレスを記載しても、結局はその英数字の羅列をパソコンや携帯で入力しなければならない。それなら検索サイトで日本語を入力してサイトを探した方が速いとの事で、購読者からの評価もいまいちだった。
 ネット欄は失敗に終わるかと思った。だが、意外なところで利用者が増えた。主婦やOL達だ。
 彼女らは、記載されているアドレスは利用しなかった。代わりに、一緒に掲載されているQRコードを携帯で読み取っていたのだ。
 カメラでQRコードを撮影し、見たいサイトへダイレクトで接続する。検索サイトで文字を入力するより手間が省ける。さらに、ネット欄はいろんな企業やサイトのQRコードがまとまって掲載されている為、多くのサイトのQRコードを手軽に読み取る事ができる。
 片時も携帯を手放す事のできない、携帯中毒に陥っているゴシップ好きな主婦の暇つぶしや、お手軽な情報サイトで広く浅く知識を得て楽しんでいるOLなどが利用するようになった。
 やがて、彼女らをターゲットとした企業が徐々にネット欄に掲載を希望するようになっていった。女性向け商品を扱うネットショップや、美容や食料品などを扱う地元企業だ。
 彼らは自分たちのサイトを一人でも多くの人に見てもらう為に、ネット欄にサイトのQRコードを載せるようになった。
 ここでさらなる利用者が増えた。社会に多大な影響を与えるといわれる女子中高生たちだ。
 彼女らは煌びやかにデコレーションした携帯を新聞にかざし、スイーツ専門のオンラインショップや人気の美容院のQRコードを次々と読み取っていった。
 彼女らへのアピールを目的として、さらに多くの業種、たとえばカラオケ店だとかネイルアート専門店だとか着うた配信サイトなど、さまざまな企業や店舗がQRコードの掲載を依頼するようになった。
 紙面を細分化し、企業名や店舗名とQRコードと大雑把な説明文を載せるスペースだけを借りれるようなシステムにした為、料金を安く設定する事ができた。そのため、小さな店舗でも安易にQRコードを載せる事ができたのだ。
 こうしてネット欄に掲載されるQRコードの数は爆発的に増え、一紙面がQRコードで埋まるまでになった。掲載されるQRコードを求めて新聞購読者が増えた。一度に多大なサイトのコードを読み取る事ができると評判になり、地元テレビ局でも取り上げられた。
 テレビで取り上げられた話題はネットでも配信され、やがて地方新聞の一つのページが全国で話題となった。ネット欄を設ける新聞が次々と現れ、見たいサイトのQRコードを新聞で探すようになった。
 QRコードで埋め尽くされた新聞の一紙面。やがて人々はQ欄と呼ぶようになった。TVの番組表が掲載されているページを番組欄と呼ぶので、QRコードが記載されているページはQRコード欄、略してQ欄なのである。
 高校生が朝、新聞のQ欄だけを引き抜き学校へ持っていく。休み時間に携帯で読み取っては遊んでいる。
 サラリーマンが電車の中でQ欄に携帯をかざし、コンパの店を探す。
 女子大生が学食でQ欄を眺めながら、就職活動のために企業の情報を集めている。
 さらに、Q欄の人気は思わぬ影響も出し始めた。高齢者がQRコードを利用するようになったのだ。
 今まで新聞を愛読していた彼らは、携帯は持っていても主に家族との電話のやりとりや、拡大文字でメールを打ったり、旅行先で写真を撮る事くらいにしか使っていなかった。携帯でweb検索などをするところまでは使いこなせていなかったし、QRコードというものは知っていても、別に必要ないからと利用する事もなかった。
 だが、毎日習慣のように読んでいる新聞に、QRコードで埋め尽くされたページがある。最初は興味を持たずとも、ふとした暇な時に目を通してみる。行かなければいけないと思っていた整形外科医院の名前が載っていたり、孫が通っているテニススクールの名前を見つけたりすると、ちょっと興味が沸く。
 携帯ショップで読み取りのやり方を教えてもらう。カメラ機能は以前から使っていたので、そこに少し簡単なボタン操作を加える事でサイトを閲覧する事ができるようになる。
 今まで携帯でwebの世界と繋がった事などなかった世代が、あれこれとサイトを閲覧するようになった。
 するとどうなるか?
 彼らの携帯利用料金に、パケット代が上乗せされるようになったのだ。今まで無料通話料金の範囲内でしか携帯を使用してこなかった彼らが、パケ代を払うようになった。
 携帯会社は悪い気はしない。
 彼らは、高齢者が震える手でかざしてもミス無くQRコードを読み取れるよう、性能をアップした機種を発売するようになった。それはそれなりにヒットし、携帯会社の損益を黒くした。
 こうしてQ欄は人々の生活に定着し、新聞購読者は増え、男の勤める新聞会社も利益をあげるようになっていった。
 彼は今、Q欄発案者として会社からも丁重に扱われ、重役として会長より二つ下の階を与えられている。
 男はQ欄を眺めながらため息をついた。
 実は、状況は良い事ばかりではない。
 掲載料の安さも後押しをして、QRコードを載せたがる店舗や企業が後を絶たず、一面どころではスペースが足りなくなり、今では見開きいっぱいを使うようになっている。二ページ・三ページを使っているところもあり、新聞によっては全体の三分の一がQRコードで埋め尽くされているものもある。
 これに伴い、記載している情報の内容を縮小せざるを得なくなった新聞もあり、スポーツ面を縮小した新聞社は、購読者らから激しい批判を受けた。
「新聞は記事を載せるものだ。電話帳じゃない」
 だが、もはやQ欄無しで新聞を存続させる事はできない。今まで掲載していた記事とQ欄のどちらをも存続させるには、ページを増やさなければならない。ページを増やせばコストも増え、料金もあげなくてはならない。値上げをしても購読者は留まってくれるだろうか? せっかく呼び戻した購読者を再び手放す事にはならないだろうか?
 ページを増やす事に踏み切れないでいる。
 何か良い解決方法はないだろうか?
 掲載料を上げ、安易に掲載依頼ができないようにしてみては?
 ダメだ。そんな事をすれば、小規模な店舗や中小企業が掲載できなくなる。Q欄を一番活用している女子高校生やOLや主婦らが求めている低価格が売りのオンライン専門ショップなども撤退してしまうだろう。フリーペーパーなどに購読者を取られてしまうかもしれない。
 Q欄の人気に便乗して、QRコード専門のフリーペーパーなども出現した。だが、それらは隔週発行だったり、変則的だったりして、毎日出されるワケではない。
 手に入れたフリーペーパーを、使わないだろうと更衣室のゴミ箱に捨て、後から見たいと思ってももはや入手する事はできない。
 だが、新聞なら毎日やってくる。昨日の新聞を捨ててしまっても、また今日になれば今日の新聞を手に入れる事ができる。しかもご丁寧に家のポストにまで届けてくれる。朝になれば、確実に購読者の手元に届く。家族の誰もが、いや、家族ではなくても、誰もが手軽に情報を得る事ができるのだ。
 だが、だからこそ、社会的な問題も作り出してしまう。
 とある女子高校生が、バイトで稼いだお金を使って自身のプロフサイトをQ欄に載せ、それを見た中年男性が少女を誘拐し監禁するという事件が起きたのだ。
「個人的なプロフサイトのコードを新聞に掲載するなんて」
「新聞社はサイトの内容を確認してから載せるべきだ」
 教育団体から非難の声があがり、掲載者に年齢制限を設けたり、Q欄自体を廃止すべきだといった過激な意見まで飛び出している。
 年齢制限に関しては、高校生らが作るボランティア団体や、部活動の内容を紹介している生徒運営のサイトから反対の意見があがってる。
 内容の完璧な確認だって、そう容易な作業ではない。
 Q欄に掲載されるサイトはすでに膨大な量となっており、それらの内容をすべてチェックするのは大変な仕事だ。しかもサイトの内容は常に変化している。新聞社が掲載を許可した後に勝手に内容を変えているサイトも多い。新聞には飲食店だと説明がされていても、コードを読み取ってみるとアダルトサイトへ繋がってしまうという苦情も出てくるようになった。
 社会的に問題とされるサイトのQRコードをどのように扱うべきか。最近のメディアの注目のニュースとなっている。男が手にする新聞にも、この手の記事がいくつか掲載されている。
 なぜここまで問題になったのか。
 それは、新聞というメディアが、手軽に情報を手に入れる事のできる手段の一つだから。
 新聞の魅力。それは、毎日、必ず、家のポストにまで届けてもらえるという便利さだ。
 毎日、必ず、家のポストにまで。
 考えてみれば、なんと便利なシステムなのだろう。
 新聞を閉じ、コーヒーを飲み干し、部屋の明かりを消して男は立ち上がった。そうして窓辺へ向う。
 朝日が昇る。やがて他の重役たちも出社してくる。
 地上7階の眺め。地方都市だ。周囲にそれほど高い建物も無い。見渡す限り、男が生まれて育った街。
 こんなところに立てるとは思ってもいなかった。なぜ彼は、このような眺めを独り占めできるまでになったのか。
 それはきっと、ちょっとしたヒラメキ。それを試してみようとした行動力と、冷ややかな周囲を説得してまわった粘り強さ。そしてなにより、新聞をこの世から消してはならないという情熱。それらが、Q欄といった奇妙なものを産み出したのかもしれない。
 徐々に目覚めてゆくこの国のあちこちで、朝刊が次々と配られていく。
 紙の新聞はこの世から消える。
 誰もがそう思っていた。
 だが世間の予測に反して、紙の新聞は今もこの世に存在し続けている。
 Q欄を含め、新聞を取り巻く環境は決して良くはない。だがたぶん、これからも紙の新聞は存在し続けるだろう。
 毎日、必ず、家のポストにまで。
 さて、この便利なシステムを、次は誰が活かしてくれるのだろうか?




== 完 ==





背景イラストはPearl Box 様 よりお借りしています。




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