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プリマドンナは放課後の調べ 【1】

誘木 溟


 呼び止められて、振り返った。
「なに?」
「これから神埼先生のところに行くんだけど、千佳も行くでしょう?」
 神埼先生は、合唱部の顧問だ。
「菊池くんのこと?」
「そうそう」
 同じ合唱部の直美が、ピンッと人差し指を立てる。
「とにかく部会は明日なんだから、今日中に確かめとかなくっちゃ」
 直美の後ろには、他にも数人の部員が集まっている。
「菊池くんが立候補した時に考えたっていいんじゃない?」
「あの男の考えなんてのは明日聞けばいいのよ。それを神崎先生が推してるってのがホントかどうかが問題なの」
 今までの合唱部は、その運営は生徒に任されてきた。部長も副部長も会計も、生徒が自分たちで選んできた。なのに、今回の人選にだけ顧問が関与してくるのは、どうも不自然だ。
 千佳はコクリと頷く。直美はホッと笑みをこぼすと、先に立って歩き出す。他はゾロゾロと後ろに続いた。
 直美は二年生の中心的存在だ。明日の部会で部長に立候補するのは直美だけだろう。副部長も男子に候補がいる。本人もやる気みたいだし、問題はない。
 会計は一年生と二年生から一人ずつ。二年からは、一年のときからやってきた美和がそのまま続ける。はずだった。
「でもさ、なんだって菊池くんが会計なんかやる気になったの?」
「ねぇ、そもそも、その話ってホントなの?」
「らしいよ。菊池くんが教室で話してるのを聞いたんだって」
 ふと見ると、千佳たちが通り過ぎようとしていた階段を、一人の女子生徒が下りてくる。
「真壁さん」
 千佳の声に、全員が足を止める。呼ばれた生徒も、階段の途中で止まった。
「これからみんなで神崎先生のとこに行くの。菊池くんのことなんだけど、真壁さんも行かない?」
 だが、真壁は冷たく視線を千佳から外す。
「行かない」
 そのままスタスタと階段を下りると、千佳たちが向かうのとは逆方向へ歩いていってしまった。
 どうして? なんて、聞く必要はない。
「ばっかねぇ」
 一人が千佳の頭をポカリと叩く。
「真壁さんが来るワケないでしょう」
 それもそっか。
 千佳は納得すると、すでに歩き始めていた直美たちを追った。




 顧問の神埼は眼鏡を外す。手に持っていた楽譜を机の上に置いて、目と目の間を軽くつまんだ。
「別に私が推薦してるとか、そういうことはないよ」
「でも、そうだって聞きました」
「誰から?」
「えっと…」
 口ごもる直美に代わって、千佳が口を開く。
「美和が、菊池くんから聞いたんです」
 神埼は身体を机に向けたまま、首だけを捻る。名前を呼ばれた女子生徒に視線が移る。まっすぐに見つめられて、美和という生徒は視線を落とした。
「菊池から聞いたのか?」
「えっと、直接聞いたワケじゃなくって… 教室で話してるのを」
「何て?」
「えっと、今度の部会で会計に立候補するって。先生にもがんばれって言われたからって…」
 その言葉に、神崎は首をすくめて笑った。
「確かに『がんばれ』とは言ったよ」
 一同は息を呑む。
「でもね、別に私から勧めたワケじゃない。本人が言い出したんだよ。立候補したいがいいか? ってね」
 そう言うと、今度は身体ごと生徒たちと向き合った。
「別に立候補なんて、していいとか悪いとかって問題じゃないから、そんなコトを私に聞いてくること自体がちょっとおかしいんだけどね。まぁ、アイツはそれなりに自分の置かれている立場を理解してるみたいだから。こんな自分が立候補してもいいのかって、悩んでたんだろうな。だから『がんばれ』って言ってやったんだ。それだけだ」
「じゃあ、別に先生が菊池くんを会計にしたがってるってコトはないワケですね?」
「別に、菊池はただ立候補すると言ってるだけだ。決めるのはお前たちだろう?」
 緊迫していた雰囲気が和む。千佳もホッと胸を撫で下ろした。
「ですよねぇ」
「っんなくだらないコトで、私のランチタイムを潰さないでくれ」
「はーい」
 声をそろえて返事をすると、ペコリとおじぎをして部屋を出始める。一人ひとり順番に廊下へ出てはホッとした声をあげる。廊下はちょっと騒がしくなる。その中に、神崎の声が小さく響いた。
「でもな」
 気づいたのは千佳と、最後に出ようとしていた直美だけ。
「できるなら、菊池を会計にしてやりたいな」
「え?」
 驚く直美の瞳に、笑っていない神崎が映る。
「反省はしてるみたいだし、今回の立候補だって、自分を変えるためだって言ってたからな。できるならやらせてやりたいよ」
 一方的にそう言うと、ヒラヒラと片手で千佳たちを追い払った。
 なんとなくモヤモヤしたものが、心に残った。




「反省してるってさぁ」
 楽譜をかばんに仕舞いながら、一人が呟いた。
「ホントかな?」
 瞬時に、音楽室は静まりかえる。
「だってさ、偽札偽造なんて ……犯罪だよ」
 しばらく、誰も答えられない。
「ほんの、出来心だったって…」
 別の誰かの声は、ほとんど蚊の鳴くような声。
 菊池は、千佳と同じ合唱部の生徒。三ヶ月前に、偽札をコンビニで使おうとして捕まった。その後その偽札は、菊池が自分のパソコンで作ったものであることも分かった。
 父兄の間からは退学にすべきだとの意見も出たらしいが、人が死んだり怪我をしたワケでもない。事が未遂に終わったこと、警察にも素直に対応していること、反省しているらしい態度。さらには、幸運なことにマスコミにも取り上げられずに済んだ為、一ヶ月の停学のみになった。
 すでに学校に通学はしてきている。しかし事件後、まだ一回も部には顔を出していない。
 もともと彼は、一年のときからサボり気味だった。
 友達と組んでいるバンドでボーカルを担当しているらしく、歌唱力を高めるためとかいう理由で入部したらしい。だが、ほとんど気まぐれでしか顔を出さない。
 そういう部員はやがて部内で孤立するものだが、人懐っこい性格ですぐにその場の雰囲気になじんでしまう。また彼が来ると、なんとなく練習の雰囲気も明るくなるため、疎外するには惜しい存在でもあった。
 特に厳しい部でもないので、無断欠席を咎める者もおらず、ただなんとなく部員としてその存在は今も残っている。
 だが当然、信頼できる人間というワケではない。
「でもさ」
 そこで言葉を切ると、直美は大きく息を吸う。
「中学の時だって万引きして捕まったことがあるって、聞いたことがある」
「あ、それ私も知ってる」
「チョコレート一個で捕まったってやつでしょう?」
 ワラワラと直美の周りに部員が集まる。
 部長などの役員は、名目上はまだ三年生。だが、ほとんどが秋の学園祭を最後に引退しており、この時期に練習に参加する者はいない。明日の部会で役員を正式に二年生へ引き継げば、物好きな者でもない限り顔を出すこともないだろう。
 音楽室の隅に集まりだす二年生を意識しながら、一年生は帰り支度を始める。
「でもさ、それも結局は警察沙汰にはならなかったんだろう?」
「捕まったときに、警察で泣きながら謝ったんだってさ。ほんの出来心だったって」
「いったいいくつ出来心があんだよ」
「泣けば済むのか?」
「でもさ、今の男子って、注意してもなかなか謝んないし、逆に開き直るじゃん。そういうのに比べたらマシなんじゃない?」
 直美の一言に、男子からブーイングがあがる。もっとも直美に歯向かえる男子など、いるワケもないのだが…
「なんかさ、ビョーキなんじゃない?」
「は?」
「だからさ、突然ふっと悪いことしたくなるビョーキ」
 病気かぁ
 千佳はぼんやりと考えた。
 意味もなく衝動的に何かをしてしまう。そういう習慣のある人間がいることは、千佳も知っている。それは本当に衝動的で、本人にもなかなか止められないのだとか。だから何よりも本人が苦しむのだというのも、聞いたことがある。
 菊池もそれなのだろうか?
「そういう人間に会計なんてできる?」
 確かに
 会計は、部費を管理するのが主な仕事だ。菊池が会計に立候補することに、みんなが戸惑うのも無理はない。
 菊池よりも美和の方が安心できる。
「でもさ、本人はやる気みだいだし」
 直美の言葉に、副部長候補の男子生徒が迫る。
「やる気があればそれでいいのかよ」
「やる気がなくっちゃ、意味がないでしょ?」
 直美も負けまいと向かい合う。
「先生が言ってた。菊池くんは自分を変えようとしてるって。そのために自分に責任のある仕事をさせて、自分の中にある弱さに打ち勝てる強さをつけたいって」
 部活が始まる前、直美はもう一度一人で神崎先生のところへ行った。
 昼休み、生徒の去り際に先生が呟くように吐いた言葉の意味を、理解したかったのだ。
「別に会計にならなくったって、他に方法はあるだろう?」
「だったら、菊池くんにそう言えば?」
 男子生徒は言葉に詰まる。
 どう言えばいいのか。どんなに遠まわしに言ったとしても、それは菊池に「お前には会計をやらせたくない」「お前は信用できない」と伝わってしまうような気がする。それは、やる気になっている人間の心を傷つけることにはならないか?
 美和の方が信用できるに間違いない。だが、もし菊池が自分の習性に苦しみ、必死で変えようとしているのなら、それも助けてやりたい。
 たかが半幽霊部員のために…
 なんてお人好しな集団なんだろ。
 千佳はふっと、心の中で笑った。
 でも、千佳はそれが好きだった。
 千佳は、歌うことが好きというワケではない。音域も狭く、どちらかと言えば苦手だ。だが、直美に付き合わされて体験入部して、今はすっかりそのお人好しさに魅了されている。
 男子も女子も、みんな部員を大切にしている。いつも楽しく、ちょっとお節介。だから、冷めた生徒はすぐに辞めてしまって、こんな人間ばかりが残って、それでどんどんお人好し集団になってしまう。
 真壁みたいな存在は特別だ。
「お先」
 短い言葉と共に、その姿が廊下に消えた。誰も返事はしない。
「ムカツク」
「何よ、あの態度」
 真壁が誰かと談笑している姿など、千佳は一度も見たことがない。いつも一人。千佳たちが集まって笑い声をあげると、迷惑そうな顔さえする。だからすぐに辞めてしまうかと思ったのに、今までほとんど休んだことはない。
 でも、辞めないワケを、誰もが知っている。
「ちょっとぐらい上手いからって、いい気になってさ」
 そう… 真壁の歌声は半端じゃない。部活の後には声楽スクールに通っているとかで、オペラ歌手になるのが夢だと噂で聞いたことがある。
 だったら音楽科のある学校に通えばよかったものを、なんでこんな冴えない公立高校なんかに入ったんだろう?
 高校にあがる時に他県から引っ越してきたらしく、高校入学以前の真壁を知る者はいない。知りたがる者もいない。
「あいつが捕まればよかったのによ」
 お人好し集団にとっては、偽札製造犯よりも高飛車皆勤賞の方が、よっぽど質が悪いらしい。
 彼女の歌声はすばらしいが、部員には不評だ。千佳も、あまり真壁の声には好感が持てない。
 なんというか、ガラスのように、美しいが暖かみを感じない。
 自己満足に歌い上げこちらを見下しているような歌声には、逆に冷たさすら感じられる。
「あー もう疲れるぜ」
 男子が一人、のびをする。
「もう、日が暮れるぜ」
 なるほど。窓の外は夕暮れだ。
「仕方ないね」
 直美はそう呟くと、立ち上がった。
「考えたってしょうがないよ」
「じゃあ、どうするの?」
「美和と菊池くん、どっちを選ぶのが正しいかなんて、そんな答えはないような気がするし。後はそれぞれが任せたいと思う方を支持するしかないよね」
「それが難しいんだよなぁ」
 ヤイヤイとまた騒ぎ出すが、話し合ったところで堂々巡りだ。結局は自分で選ばないといけない。
 千佳はため息をすると、直美にならって帰り支度を始めた。










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