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向かいの席で寝たフリをしてみる
誘木 溟

 「先輩には何って言ってきたの?」
 水着と浮き輪の一部がはみ出した袋の紐を弄びながら、女の子が言った。
「風邪」
 そんな男女の会話を、私は、電車の向かいの席に座りながら、頭を俯け、寝たフリをしながら聞いている。





 カズキには、アーチェリー部の入部説明会で一目ボレした。自分から告白する勇気なんてあるはずもないから、憧れで終わらせる覚悟でいた。好きだと言われた時には、からかわれているのだと思ってしまった。自慢の彼氏で、周囲も羨むくらいに仲が良かった。他人の目などを気にする事もなく大切にしてくれて、どうしてそんなにも想ってくれたのか、今でもよくわからない。
 小さな影を感じるようになったのは高校二年のバレンタイン。同じアーチェリー部のアヤが、カズキにチョコを渡したという噂を聞いた。
 アヤに尋ねると、渡していないとキッパリ否定された。アヤのそのまっすぐな瞳を見ていると、疑ってはいけないような気がしたから、私はその言葉を信じる事にした。だがその日の夕方、私はカズキの部屋で見つけてしまった。Valentineという文字に添うようにしてアヤの想いが書かれた紙切れを。
 内容はあまりにも率直な表現で、義理チョコではないという事だけはハッキリした。でも私は見なかったことにした。
 カズキは変わらず私の傍にいてくれている。という事は、アヤは振られたのだ。
 紙切れはすぐにどこかへいってしまった。カズキが捨てたのかもしれない。
 カズキはアヤよりも私を選んでくれた。
 優越のような想いを感じながら、でもまた来年のバレンタインにはアヤは懲りずにまたアプローチをしてくるのかもしれないなどといった不安にも襲われた。
 いや、アヤだけではない。他にもカズキを狙っている女子がいるのかもしれない。カズキは女子生徒の間でも人気の高い存在のはずだ。どうして自分などが想われているのか不思議で、時々これは夢なのではないかと思ってしまうくらいだから。
 カズキが私を堂々と彼女として公認してくれているから、彼に手を出すような輩などはいないと思っていた。だが、アヤの手紙を見て以来、不安が消える事はなかった。
 カズキと私は、別に結婚をしているワケじゃない。今のご時勢、結婚をしていても他人のものに手を出してくる輩はいる。
 私は出来る限りカズキと同じ時間を過ごすように試みた。三年生になり、受験が近づき勉強に勤しまなくてはならなくなっても、図書館などでの勉強にできるだけ誘った。
 向かいの席に座りながら熱心に問題集と睨めっこをしている姿を見て、ふとその瞳に別の女性が映っているのではないかと思った事もある。そんな時はなぜだか急に眠気に襲われ、勉強など放り出して眠ってしまいたくなった。一度本当に寝てしまい、カズキに小突かれた事もある。
 カズキに聞くことはできなかった。アヤからもらったはずのバレンタインのチョコについて、カズキと話をした事はない。聞いて、カズキからの返事の端に、少しでもアヤへの想いを見つけてしまったらと思うと、怖くてできなかった。振ったけれども未練はあったのだというような内容がチラついていたらと思うと、怖くて聞けなかった。
 やがて、冬が来た。もうあと二週間でクリスマスだという頃から、アヤが休み時間に編み物を始めるようになった。
 一秒でも惜しい受験生が何事かと周囲は驚いたが、アヤは澄まし顔で答えた。
「ただの気分転換よ」
 作っているのはマフラーだという噂がたった。色から言って、男物に違いない。アヤに聞くと、あっさり答えた。
「そうよ。お父さんにあげるの」
 違う。あれはきっとカズキにあげるんだ。
 許せなかった。カズキは私のモノではないけれど、でも私とカズキは付き合っているのだ。私の存在を知っていて、それでも手を出そうとするアヤが許せなかった。私がどれだけ不安な日々を送っているのか、アヤは知っているのだろうか。知っていて、私を弄ぶ為にこのような行動に出ているのだろうか?
 私と向かい合い、平気で嘘を口にするアヤが許せなかった。だから私も嘘をついた。
 アーチェリー部員による恒例のクリスマスパーティー。その待ち合わせ時間を一時間遅くアヤへ告げた。パーティーが始まると私は体がダルいと言って、カズキに家へ送ってくれるように頼んだ。二人でパーティーを早退した二十分後、アヤは遅れて店に到着した。翌日同級生からそう聞いた。
 私はアヤには謝った。メールを打ち間違えたのだと。
 アヤは許してくれた。仕方のない事だと。
 そうして私たちは卒業の日を迎えた。その日も私はカズキの隣にいた。最後までアヤからカズキを護りきったという達成感と、これでもうアヤの影に怯えることはないのだという安心感に満ち溢れていた。私とカズキは地元の国立大へ、アヤは遠くの私立大への進学が決まっていた。
 もうアヤに怯える必要はない。
 卒業式の後、部員が自然と集まった。そこで一泊の卒業旅行の計画が持ち上がった。





 向かいの席で、男女が楽しそうに会話をしている。高校生だろう。夏休みを利用して郊外の大型レジャー施設へ遊びに行った帰りだ。水着を持っているという事は、野外プールが目的だったのだろう。
「アーチェリーって、カッコイイだろ」
 男の子の言葉に、思わず肩を揺らしてしまった。
 アーチェリー部はこの辺りでは、私が卒業した学校にしかない。
「でもいまだに筋トレ。あと練習前の準備と終わった後の後片付け。だいたい、アーチェリーってそんなに筋力使うと思う?」
「へぇ、じゃあまだ道具とかは使ったことないんだ」
「一年生はインハイが終わってからだとよ」
 一年生。と言うことは、私の卒業と入れ替わりに入学し、入部した生徒なんだな。
「ふーん。でもいいじゃん。野球部とかみたいに夏休みもみっちり部活ってワケでもないんだし。こうやって遊びにも行けるんだから」
「ばーか。今日だって本当は部活だったんだよ。他校との試合」
「え? 行かなくてもよかったの?」
「サボった」
 薄目を開けてしまった私の視界の端で、男の子がペロリと舌を出した。





 高校の卒業式。式の後、アーチェリー部の卒業生の間でお泊りの卒業旅行の計画が持ち上がった。みんなで行こうと誘い合う中で、アヤは断ってきた。
「男子の混じってる外泊って、親に禁止されてるの」
「女子だけって言っちゃえば?」
 私は食い下がった。もう明日からはアヤの影に怯える事もないのだという安心感からか、それとも、外泊先でカズキとの仲を見せ付けてやろうとでも思っていたのだろうか。
 アヤは私の言葉に肩を竦めた。
「嘘って、大抵はバレるから」





「え? サボり? いいの?」
 電車の向かいで女の子が目を丸くする。
「大丈夫だって」
「先輩には何って言ってきたの?」
 水着と浮き輪の一部がはみ出した袋の紐を弄びながら、女の子が言う。
「風邪」
 男の子はこれ見よがしに咳をしてみせる。
 彼が風邪などひいていない事を、私は知っている。
 彼らが堪能した野外プールのある施設で、私はアルバイトをしている。バイトが終わり、客に混じってシャトルバスで駅へ向かった。そのバスの中で、彼らはとても仲良さそうに話をしていた。バスを降りて電車へ乗り換えてから今まで、私たちはずっと一緒の方向へ移動している。一度も男の子は咳などしなかった。
「風邪? ありがち過ぎない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ。ちゃんと昨日から準備しておいたからさ」
「準備?」
「そ。昨日も部活だっただろ。朝からさ、なんか体がダルいな、とか、風邪かな? とかって言いまくってたからよ。絶対バレねぇって」
 私がここで、携帯で後輩にこの事をメールしてチクったら、どうなるのだろうか? 明日、この男の子は先輩に、私にとっては後輩にあたる生徒に呼び出され、こっぴどく叱られるのだろう。後輩の男子に、とても律儀で厳しい生徒がいる。私たちが引退した後に部長になった生徒だ。彼に知れれば大変な事になるだろう。インハイ以降の道具の使用が、彼だけ認められなくなるかもしれない。
「大丈夫だって」
 男の子の声を聞きながら、私は先ほどの光景を思い浮かべる。
 私は郊外の大型レジャー施設で、ゲームセンターの係員のバイトをしている。夏休みという事もあってかなり混んでいた店内の片隅に、私はカズキの姿を見た。隣には、アヤがいた。
 私とカズキは大学に進学して二ヶ月で別れた。大学でアーチェリーサークルに入ったカズキ。だが私は入らなかった。体験参加の時に説明してくれた先輩たちの中に、アヤにとてもよく似た人がいたからだ。アヤのように髪が長いわけでもなく、背もずっと低かったが、私にはどうしてもその人がアヤに見えて仕方なかった。
 カズキにも入ってほしくはなかったが、彼は入ってしまった。
 私は心配でならなかった。今度はあの先輩がカズキを横取りしようとするのではないだろうか。そんな不安が胸を覆った。高校生の時以上にカズキの傍を離れなかった。それが彼にはウザかったようだ。
 大学にはいろいろな地方からの学生が集まる。サークルには他の大学の学生も多く参加している。サークルで他地方の人間と交流するうちに、カズキはもっと広い世界を知った。サークルにも入らず、高校時代からの知り合いや、話が合うからといって地元出身の学生としか付き合わない私よりも魅力的な存在に、カズキは惹かれていった。
 別れ話を切り出したのは私から。だが嫌いになったワケではない。ごめん、俺にはお前だけだよ、なんて言葉で私のところに戻ってきてくれればと思っての行動だった。だがカズキはあっさりと私から離れてしまった。
 だったら、どうして私の事を好きだなんて言ったの? その程度の想いだったの?
 後悔と未練だけが残った。哀しくて、カズキの話はなるべく聞かないようにした。新しい彼女ができたなんて話を聞いたら、私は辛くて大学へなんて通えない。
 電車で数十分もかかるバイト先を選んだのも、できるだけカズキの情報が入ってこないようにとの思いからだ。高校生の頃、二人でカラオケやゲーセンになど、一度も行った事はなかった。カズキはそのような場所が好きではないようだったし、私も別段好まなかった。だから、バイト先でカズキの姿を目撃する危険はないと思っていた。
 でも私は、カズキとアヤを見た。二人は仲良さそうに手を繋ぎ、私になど気付かずに店を出て行ってしまった。出て行く時に肩の髪をアヤが振り払った。その際に現れた、幸せそうな笑顔を見た瞬間、私は理解した。
 アヤは知っていたのだ。クリスマスの夜、私が嘘のメールをした事を。
 バレンタインの紙切れを見つけてしまった事も、それをカズキに話せずにいた事も、ずっとアヤを疑っていた事も、彼女は知っていたのだ。
 消えてしまった二人の後ろ姿に、私は泣きたくなった。だが、涙など出なかった。
 何がいけなかったのだろう? チョコを渡したのに渡していないと嘘をついたアヤがいけなかったのだろうか? それとも、嘘に気付きながら気付かないフリをしていた自分がいけなかったのだろうか?
 あのマフラーを、アヤはいったい誰に渡したのだろう? カズキの部屋で、手編みのマフラーを見たことは一度もない。何度探してみても見つける事はできなかった。
 そんな私の気も知らずに離れていき、カズキはアヤと夏休みを過ごしている。
「大丈夫だって。バレねぇよ」
 向かいの席に卒業生が座っている事なども知らずに自信満々に答える男の子。その声に、卒業式でのアヤの声が重なる。

「嘘って、大抵はバレるから」

 最初に嘘をついたのはアヤだ。私がどれほど辛い思いをしていたのかなど、何も知らないクセに。
 何も知らない。アヤもカズキも、私の想いなど何も知らない。
 そしてそれは、私が何も知らないのとまるで同じ。
 カズキはゲームセンターで、どんなゲームを楽しんだのだろう? 私にはわからない。どれほど大切にされているのかという事よりも、どうして大切にしてくれるのかという事ばかりを考えてしまう私には。
 まるで今起きたというような仕草でもそりと身を捩った。そうして私は鞄からイヤホンを取り出し、耳に捻じ込んだ。手にした携帯の画面に視線を落とし、本当に一瞬だけ躊躇ってから結局は音楽を再生した。そうして再び寝たフリをした。





== おわり ==


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背景イラストはPearl Box 様 よりお借りしています。




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