ヤツは、いつも突然やって来る。
今だってそうだ。アポもなく、何の前触れもなくやって来た。やって来て、激しくその存在を主張する。
誰だって、この世から自分の存在が消えてしまうのは避けたい。世界中のすべての人々に知られたいとは思わずとも、身近な人に忘れ去られるのは、やはり悲しい。
(あっ 俺、最近カゲ薄いな)って感じたら、無意識のうちに出しゃばっていたりするものだ。ハタから見たら酷く滑稽でも、本人にしては結構死活問題だったりする。
ヤツにとってもそうなのだろうか? だったら同情くらいしてやってもいい。
特にヤツとは、ココ最近ご無沙汰だった。最後に相見えたのはいつだっただろうか? 思い出せもしないくらい遠い過去の出来事。ヤツがその存在を主張したがるのも、わからないでもない。
だが、俺にも言い訳をさせてくれ。
ヤツとは、いつでも時間を共有できるワケではない。と言うよりも、例えば俺がその存在を望んでも、ヤツが必ずやってくるとは限らない。ヤツに遭遇できるか否か、それはほぼ100%ヤツ次第だという事だ。
だから、俺がその存在自体を忘れてしまうほど疎遠になっていたとしても、それはヤツの責任というコトになる。
おおっと、こんな言い方は酷かったな。悪い 悪い。謝るからそう怒るなって。
必死にヤツを宥める。
そんな俺の耳に、ゆっくりとした足音。思わず腹に力を入れる。
三歳年下の弟。
マズイっ!
と、そんな俺を嘲笑うかのようなヤツ。
勘弁してくれ。いくらお前を忘れていたからって、何も今出てくることはないだろう。よりによって、なぜ今この時を選ぶのだ?
必死の説得に、ふっと落ち着きを見せるヤツ。
そうか、わかってくれるか。
そう安堵した途端、突然心変わりを見せるヤツ。
だからっ 今はダメだってっ!
慌てる俺。
やって来るなら他にも良い時期はあったはずだ。
近づくのは弟の足音。
絶対絶命。
お前の存在は否定しない。時が時なら俺だって拒否はしない。
だが、今はやめてくれ。
ここを乗り切れば、いくらでもお前の相手をしてやる。だから頼む。せめて今だけ。
せめて今だけはっ!
「………… ヒクッ」
ガタガタと、乱暴にフタを抉じ開ける弟の目の前に、身体を捻って無様に隠れる俺の姿が曝け出される。
「兄貴、みーけっ!」
弟の勝利宣言に、力なく洗面所の床下収納から這い上がる。そんな俺の目の前に時計を突き出す弟。
「3分59秒」
ぐっ! 5分あれば絶対に見つからないと思っていたのに。
唇を噛む俺。
そんな二人のやり取りに、台所の姉貴が声をかける。
「何やってるの?」
向ける視線の先で、デカイ寸胴の中身を掻き混ぜる姉貴。その姿が子供向けアニメに出てくる魔女の姿に重なるのは、俺だけだろうか?
青ざめる俺の顔を、弟がニヤリと笑う。
「今回の試食役、頼むよな」
ポンッと俺の肩をたたき、両手を後頭部に当て口笛を吹きながら洗面所を出て行く。
「あら、今日はあなたが食べてくれるの?」
姉貴が俺へ向かって首を傾げ
「今回も期待しててね。すっごく美味しいって、料理教室の先生からも絶賛されたんだから」
今回も? 姉貴、助詞の使い方、間違ってません? ってか、その先生、味覚正常?
半分放心状態の俺へ向かって、姉貴が嬉しそうに笑い声をあげる。
ゴクリと生唾を飲み込む俺。その喉に、ヤツがふたたび競り上がってくる。
「ヒクッ」
ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
シャックリの馬鹿っ!
== 完 ==
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