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男の料理
誘木 溟

 フローリングにペタンと座り、私の名前が書かれた紙を二人で持ちながら携帯で写真を撮る。当然ひらがなだけど、やっぱり息子が私の名前を書けるようになったのは嬉しい。
「うふふっ」
 他人が聞いたら気味悪がるだろう声を漏らしながら振り返る先では、夫が鍋をかき混ぜている。何を作っているのか、それは秘密らしい。
 別にしつこく聞くつもりはない。出来上がれば判る事だし、内容を秘密にするのはいつもの事だ。
 そう、夫はたまに料理をする。
 ごくたまにだ。稀な事だ。普段はキッチンに近寄りもしない。冷蔵庫から缶ビールを取り出す事すらしない。
 そんな夫が、なぜだか突然料理をする事がある。
 まぁ、こちらとしては一食分作る手間が省けるワケなのだからそれはそれでありがたいのだが、私としては正直、大喜びはできない。
 後から請求される食材費はいつもため息が出るほど割高だし、キッチンの最終的な後片付けも私の仕事。台拭きで食器を拭いたりするので恐ろしくて任せられない。私も存在を忘れていたような滅多に使わない鍋などをなぜだか出してきたりするから、仕舞うのも一苦労。自分で料理をするより、実は疲れたりするのだ。
 キッチンに立つ姿はメチャクチャ楽しそうと言える姿にも見えないし、なぜいつも突然料理などを始めるのか、てんで理解できない。そのうち「出来たぞ。おい、皿っ」とかって呼ばれるんだろうな。皿ぐらい自分で用意できないの?
 私は聞こえないように小さくため息をつき、視線を息子へ戻す。今度は夫の名前を書いているようだ。
 ようやく書けるようになった。近所の同じ歳の子はもう半年も前に書けるようになっていたので、少し焦っていた。
 個人差だよね。
 言い聞かせ、手に持つ携帯を操作する。息子と取った写真でいっぱい。どれもこれも大切な宝物。仕事をしている私は、勤務中もたまに取り出してはニンマリ笑っている。社内でも噂だが、どうしてもやめられない。
 あぁ、この写真、初めて「お母さん」って言えた時のだよね。確かこの時はムービーでも取ったんだっけ。でも後ろで夫がジュージューとフライパンでハンバーグを焼いていたから、うるさくて息子の声がうまく入らなかった。
 これは積み木を十段全部積めるようになった時のだ。この時も夫に邪魔をされた。積み木と一緒に写真を撮ろうとした瞬間にキッチンで食器を割る音がして、ビックリした息子が積み木を崩してしまい、大泣きして大変だった。
 あ、この時は――
 正社員でフルタイム働いている私は、息子の世話を両親に任せがちで、それゆえに息子の成長に立ち会える機会が少ない。だから、何かきっかけがあればできるだけ息子と二人で写真を撮ってお祝いをするようにしている。それなのに、いつも夫に邪魔をされる。
 初めて歩けた時は、写真を撮ろうとした瞬間に買出しから戻ってきた夫とぶつかって尻餅をついてしまい、泣きはしなかったもののその後なかなか歩いてはくれなかった。
 こうやって息子の写真を撮るのも一苦労なんだから。
 もう一度、今度は少し夫に当て付けるようにため息をつく。
 初めて寝返りを打った時だって―――
 そこで私はふと携帯を操作していた手を止める。
 一週間みっちり働いている私は、なかなか息子と過ごす時間が取れない。休日出勤が入る事もある。平日は帰りも遅い。息子が寝ている事もよくある。これから成長していく息子の為とは思いながら、やはり申し訳ないとは思っている。
 そんな私の携帯に、息子の写真が数え切れないほど収められている。
 初めてハイハイが出来るようになった時。初めて三輪車に乗れるようになった時。初めて私の似顔絵を描いてくれた時。
 私は顔をあげ、夫を振り返った。彼は眉間に皺を寄せ、鍋をかき回している。まったく楽しそうには見えない。
 無言で今度は息子を振り返る。一生懸命に夫の名前を書いている。
 初めて私の名前が書けるようになった息子の写真。
 私は携帯に視線を落す。
 きっと私はこれからも、息子の"初めて"をこの携帯で撮り続けるのだろう。できるはずだ。なぜならば、息子が成長するたびに私はキッチンから少しだけ離れ、息子と写真を撮る時間を得る事ができるはずだから。そうして、写真を撮ろうとするたびに、きっと料理に不慣れな夫が思わぬ邪魔をして台無しにしてしまうのだ。
「ふふふっ」
 他人が聞いたら気味悪がるだろう笑みを私が零した時、キッチンから呼び声が飛ぶ。
「出来たぞ。おい、皿、皿」
「あ、はいはい。どんなお皿がいい?」
 私は立ち上がり、少しだけ楽しみになった夫の料理を盛り付けるべく皿を選びに食器棚へと向かう。その後ろを、夫の口真似をしながら息子がパタパタと走ってくる。
「おぅい、さらさら」



== 完 ==



novela【さらさら】エントリー作品


背景イラストはPearl Box 様 よりお借りしています。




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